地震が起きたとき、会社にいました。私の会社は高層ビルではないのですが、やはり非常に揺れてデスクの下にもぐりながらも、私は終始落ち着いていました。というのも、私は幼少期から東京の大学に進学するまでの10年間、日本でも比較的地震の多い町で過ごしたからです。しばらくしてテレビをつけて、血の気が引く音がしました。


私が住んでいた地震の多い町とは、宮城県仙台市のことです。そして、両親が住む町でもあります。


東京にいる兄を経由して両親の無事が確認できたのは、土曜日の明朝でした。その時ほど、東京に兄がいることを心強く思ったことはありません。ほんとうにありがとう、お兄ちゃん。駅付近のマンションだっため津波の被害もなく、テレビが倒れたくらいで、家の中の被害も最小限とのことでした。水道が完全に止まっているけれども、沿岸で被害にあわれた方に比べれば十分に生活ができます。

被害の大きかった荒浜は、仙台市民にとってはなじみが深いなんて言葉では言い表せないほどの海です。夏じゃなくても、泳げなくても、海にたいして思い入れがなかったとしても、みんなが何気なくとおとずれるような海です。

こんな状況ですが、平日になれば仕事に行かなければなりません。いかなければ・・・と書いたけれどもそれは間違いで、行くことくらいしか自分にできることはありません。私の仕事は、生きていくことに直接関係のないものを売る仕事です。この仕事をがんばったところで、誰かのお腹を満たすことも、負った傷を回復することもできません。それでも今は、働いて東京の機能や経済を少しでも保ち、収益を少しでも被災地に贈ること。節電をすること・呼びかけること。これが自分にできることの全てです。少しでも被災地の一日も早い復興につながればと思ってやみません。

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