バレンタインデーにお菓子を作るほどの余裕がない。というのは言い訳。めんどっちかったの、ゴメンネ。夫はもらえるとさえ思ってなかったらしく「(なんか結婚したら)そんなモンなのかな〜って」期待していなかったみたい。ゴメンネ。せっかくデメルなので可愛い箱のものにしたかったのに、一番美味しそうなチョコがなんでこんなおどろおどろしいのかよ。

土曜日は夫に預けて優雅に昼ご飯を食べに外に出た。ちっこいグラスビールなんかも飲んでしまった。週末のファミリーレストランはファミリーじゃない人も、ファミリーな人たちも溢れていて賑わっていた。わたしもあんなふうに友達と顔をつきあわせて勉強とかしたっけ、とか、ママ友どうしの悪口大会は怖いな、とか、もうすぐあそこはつき合うことになるのかな、とか他のテーブルの会話に耳を澄ませて久しぶりの休日を味わったのでした。でもロイ○のステーキ丼はもう二度と食べない・・・。お肉ぱさぱさだった・・・。


暗澹たる気持ちで過ごした一週間から、無認可の保育園からの一本の電話で救われたのであった。ひ〜。決まってよかった・・・。ひー。


そしていよいよ働かなくちゃいけないことになって、そわそわとした気持ちになってくる。あんなに早いとこ復帰して子と二人きりの生活から抜け出したい。ひ〜。、、なんて思ってたけれども、子と離れたくないちゅうより、働くことが怖い。どんなふうに上司とうまくやっていただろうか(そもそも上手くやってもいなかったという話)、どんなふうに仕事の優先順位ってつけてたっけ(そもそも順位などつけていなかったからいつもてんやわんやだったじゃないか)、そもそも同じ部署になるわけではないんだろうな、とか。

慌てた気持ちをごまかすために、ネイルポリッシュと指のささくれをどうにかしようとユースキンを買ってきた。働く準備にしては軽薄だ。でも指から春がくるのはきっと悪くない〜。


子が産まれて一年がたった。あっちゅうまな気もするし、とても長かったような気もする。普通の感想ですみません。

前にも書いたような気がするけれど妊娠している間も、私は不良妊婦だったので仕事で深夜に帰宅することもしばしばあったし、妊娠後期に雨が降った後のコンビニでしたたか尻餅を付いたこともあって、心配ごと(主に自分が原因の)ばかりで、楽しい妊娠ライフとはほど遠い生活だった。

産まれてからも初めてなんだから当たり前なのだけど、息子が寝ないことやよく吐いてしまうことや、う○こが出ない日々とか反対に出過ぎて不安な日々とか、とにかく心配なことがたくさんあって、これまた楽しんでばかりもいられない日々で、今頃になってようやく「あぁ、楽しいなー」くらいに思えるようになった。


別にあえて書かなくてもいいのだけど、出産してからとりわけ悩んだのは、息子は生まれつき身体の広範囲に赤いあざ(血管腫)を持っているということだった。年齢とともに自然に治るたぐいのものではなく、治療をしても取り除けない可能性のあるものだったので、さらにしょげてしまった。出産前にいろんな想定をしていて、じつはこのあざのこともちらっと頭によぎったのだけど、本当に自分がそれに対面してしまうと、びっくりというより、ただただ、しみじみ、心に重しが乗せられたように胸が詰まる感じ。

命に関わるものじゃないのだから、と医者も親もいうけれど、思春期のどこかの段階でこの身体に対峙した息子がどう思うのだろう、私を憎むかな。それで気が休まるならいいのだけど、友達にからかわれて辛い生活を送ってしまったら・・・とグルグル考えると眠れない日々が続いた。今も全く考えなくなったわけじゃない。

しかしである。それでも息子が大好きだということは、私や、それ以上に夫が(ほおっておくと息子がかわいすぎてかぶりついている我が夫である)何の疑いもなく、もう、それでいいんじゃないか、これからだってそうやって生きていけばいいんじゃないか、ととても雑だけど大きな道標のようなものを自分の中にようやく見つけた。私も夫も息子が好きだ、というだけで、それ以上のあれやこれやなんて、後ろで流れる伴奏に過ぎない。家族みんなでお気に入りのフレーズをるらるら歌っていれば、なんとかやっていけるのじゃないか。と、思ったのです。

このよく悩んでいた当時、昔NHKで拝見した藤井輝明さんのことを思い出して、本を良く読んでいました。藤井さんのご両親はほんとうに素晴らしいエピソードがたくさんあって、あざがどうこうではなく子育てする上での何かヒントのようなものをすごくもらったような気がします。
http://www.yomiuri.co.jp/adv/chuo/people/20120920.html

というわけで、一人で勝手に書いてすーっとしましたが、もう息子のあざのことでは悩んでいなくて、それより保育園!待機児童だよ!どうにかして!ということで今はいっぱいいっぱいです(マジで)。それ以外は、とってもとても楽しく過ごしています。息子よ、夫よ、いつもいつもありがとう。おめでとうおめでとう。


※ちなみに、あざと私の尻餅はまったく関係ないそうです。卵の状態の時から既にそういう要素を持っているとのことでしたのであしからず。でも雨の日のコンビニの床はキケンだぞ!!

違法動画なので貼るのは気が引けますが・・・。


木皿泉「しあわせのカタチ」
http://www.dailymotion.com/video/x27ber2_kizara01_lifestyle


二人のポリシー。クーラーは使わない。パソコンではなくワープロ。介護や食に関するものは労もお金も惜しまない。


オシャレな北欧食器、丁寧にグリルで焼いた食パンに美味しいバターを塗って食べる。マイペースな執筆活動。さらりさらり、のらりくらり、会話の応酬。でもそんなことが全てなわけない。マリメッコのファブリックをぺろりとめくれば、終わりの見えない介護生活に、鬱病、困窮する生活。それが当たり前なのに、歯触りのいい言葉や生活ばかりに憧れるんだから、私はきっと強欲なのだ。全部見終わった後、言いようもない不安と一緒に、まぁ、きっとなんとかなるだろう、みたいな適当な勇気も湧き出てくるから、とても不思議なドキュメンタリーでした。

月2回、リトミック教室なるものに通っているのですが、午前中で最も眠い時間に連れ出されるおかげで息子はいつも魂が抜けた状態で大変に可愛い・・・ちがった、かわいそうである。好きでもない音楽にのって、好きでもないリズムを刻まされて、好きでもないお絵描き(クレヨン食べようとするのを阻止するから親も疲れるヨ)をさせられて、好きでもないものの総合デパートである。上手いことを言えたとは思ってない。

しかし参加当初、お座りすらできなかった息子が最近はズボンの端っこを持っていないとあっちゃこっちゃに行ってしまうとか、あぁ感慨深い。母さんはそろそろ腰がやばいことになっているので後は自力で寝てくれればいいのだけど・・・。ダメか。ダメだよね。

保育園のことを考えると暗い気持ちになーる。少子化だから保育園に空きがないのか、保育園がないから少子化なのか・・・(ぐるぐる)。ゆるっと冷たくてのどごしのいいものが食べたいです。牛乳かんてんとか。

離乳食用に大量の人参とサツマイモをゆでたり、おざなりにしていた部屋の角に掃除機を急にかけだしたりして午前の大半が終わる。子がいる生活は夕飯までノンストップで、息継ぎなしのクロールをしているみたいだなぁ、とよく思う。苦しいかというと、そんな気もするし、でも25mだから意外とイケるといえばそんなもんなのかもしれない。私の毎日は書き出してみると、史上かつてないくらいつまらないものだ。でも不幸せとは違う。こういうなんでもないようなことが幸せだったと思う・・・・って時事ネタ!

記憶のスパイス

記憶のスパイス

エスニック角煮丼は今すぐ作りたい!

午前中をだらりと過ごして、隣の駅にある子育て支援センターへ行ってきました。ママ友というものがいない私は(いや今もだけれど!)、初めて行ったときは震える子鹿状態だったけれども、息子がきょろきょろニタニタ楽しそうに新しいおもちゃをハミハミしているのを見て、それだけで爽やかな気持ちになるので、毎度行ってよかったなぁと思うのです。

あとね、息子のね、頭身のバランスがすごく悪いのがね、みんなと比べてよくわかるよ!(両親そろって頭がでかいのゴメンね)

昼寝の時間が近づいてきてブスーっとした顔になってきたところで退散。バスに揺られながら、あと何回こんなふうに子供をお腹にしょって、なんていうことのない道を往来するのかな、と思うと鼻の奥がツーンとする。冬なのに暖かい、不思議な一日。


写真は10数年ぶりくらいに買った時計です。文字通り時間に縛られる生活になったので、時計が必需品になりました。アクセサリーは赤子はいる家庭はつけないほうがなんちゃらという話もあるけれど、(寝かしつけの対応で疲れたときとかに)気分をあげていくために必要だったりするのですよ、おほほ。